江戸時代中期以降伊万里焼や九谷焼などに押されて人気を失っていた備前焼を再興させることに成功し「備前焼中興の祖」と称される。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から次々と人間国宝を輩出するなど備前焼の歴史上果たした功績は計り知れない。
また、漂泊の日本画家の杉本白象は、自らを「金重陶陽の従兄にあたる」と、昭和42年にパトロンに送った作品に付けた手紙に記している。北大路魯山人やイサム・ノグチらとも親交があり、彼らの芸術性に影響を受けた一方、彼らが備前焼を世に知らしめる役割を果たしている。
「土に素直に、火に素直に」
「中心のずれたような、たどたどしい轆轤に味が出る」
「よいものはそうたやすく出来るものではない。私にしてみれば、悪いものが売れるのが、不思議だと思っている」
「今日の私がここにこうしてあるのは、明治の不景気の最中に生まれたことがよかったのだ。生活苦に押し流されて手をぬき、つまらないものを造っていたら、その後、どうなっていたかわからない」
「芸術家は創造しなければならない。かつてなかったものを生み出すのだ。若い人たちは、陶工としてではなく、一人の芸術家として自己を形成するために戦っているであろう。備前の陶芸家である以上、備前の土から遊離することはできない。私は備前の伝統が素直なかたちで、新しいものになってゆくのを待っている」
「技術はある程度うまくなくてはならないが、技術だけ凝ってみても、それだけでは焼き物にならない。技術は年月が経れば自然に備わってくるものだ。が、作品を造る者の人格がでてくるのは当然のことで、高い精神があって初めて、いい作品が出来ることはいうまでもない。焼くとか造るとかいう表現は使いたくない。焼けたことを『出来た』といっているが、これは『生まれた』といってもよい」
「よそへ行って土を粗末にしているのを見ると、本当に癪にさわる。ああいい土だ、ありがたいと思えば、粗末にできないと思う。焼き物をする者にとって、土が最も大切であることはいうまでもない。私の父はこの点、とくに厳重で、土をまたぎでもしようものなら『うちでは米粒より、土の方が大事だ!』といって叱り飛ばされたものだ」
「備前焼は偶然性に頼りすぎるという声をよく聞く。まったくその通りで、備前焼は偶然性によるところが大きい。だがわたしは、芸術ほど偶然性の大きいものはないと思っている。例えば、つくるもの十が十なりに同じであったら、これは芸術といえるだろうか。轆轤ひとつを挽くにしても、同じものをつくれといわれても、私には不可能なことである。特に火のなせる技は、われわれの力の遠く及ばないところで、偶然というよりほかに何と言いようがあろうか。そこには、人間の力ではどうすることもできない尊さがある」
「窯焚きの時は窯に仕える気持ち」
「赤ん坊のときは乳をやるように、つまりチョロチョロ焚きの際には、乳を飲ますような気持ちで窯にも乳ほどの木をくべる。少し育てば粥をやるように、粥ほどの木をくべる。そして成長するにつれてご飯や果物やお菓子など、子供が要求するものをふやしていくのとまったく同じ気持ちだ。はじめのうちは薪一本ふやすのも難しいのだ」
「松割木を窯に入れるのに、下品な入れ方をしてはいけない」
「寝ていても目をつむっていても窯の音だけはいつも聞いておけ」
「ぐい吞を手にするときは、その手とりの感触をまず楽しみ、そしてゆっくり酒を味わう。徳利も注ぐ時のあの『とくとく……』という響きが美しいと、それだけでもう、何かしらうっとりとした気分にさせられてしまう。こうしたもののよさは、文字には表せないほど味わいの深いものだと思っている。だが、とかくこうしたもののよさを知ろうとせずに通り抜けようとする人が多いのは、少々情けない気がする。『何も知らないでも通る』という意識は、およそ文化とは縁遠いことだと思っている」
「お百姓が作物と話ができなければ作物が育たないのと同じように、陶芸家は窯と話ができなければ窯は焚けない。本職というよりも天職だから、そこまで徹底しなければいかん」
「窯は人間の体と同じで、一カ所直しただけで、その影響は全体に及ぶ。窯は軽々しく変えるわけにはゆかない」
「窯詰めは窯を焼いとけ。火には二つの顕著な性格が認められる。火には二つの顕著な性格が認められる。その一つは上に上がる性格である。火は必ず上に上がる。……火の流れに従って、按配よく窯詰めをすることが秘訣であり、また根本義でもあるわけだ。……もう一つは、炎は(火度の)低い方から高い方へと流れるという性格がある。しかも、夏と冬とでは火の流れ方が違う。冬は土地が温かくて、空間が冷える。夏が逆に空間が温かくて、土地が冷える。だからして、冬は温度の高い下の部分をかたく詰め、上の方を心持ちあけるようにして詰める」
「いずれにしても、窯は素直に焚けば、素直に応えてくれるもので、こちらが捻て出れば、必ず捻て返す、恐ろしい生き物である」
「茶器の中でも、茶入をつくるのが一番難しい。私の家にいたブランクというアメリカ人の弟子が、茶入を造る私の顔を見て、『大変苦しそうな顔をしているが、気分でも悪いのか。先生のそんな顔を見たことがない』と指摘したことがきっかけだった。そのとき、私は自分に驚き、『ああ、こんなことではいいものはできないな』と思った」
「人はよく『伝統の殻の中に閉じこもっていてはいけない』などというが、人間は決して伝統から逃げ切れるものではない。日本人の血の中に伝統が流れているからだ。伝統から逃げ切ろうと思っても、身体の中に流れている血がそれを許さない。伝統は生き続けているもので、伝統の深さがあればこそ、日本人の生活にマッチしたものができるというものだ。この伝統という意味をよく認識したうえで、新しい分野を切り開いていくことこそが、これからの備前焼の進む道であろう」
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