備前焼事典

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備前焼年表(江戸時代)


西暦 主なできごと
1632 池田光政候備前を領す。
1636 備前藩が御細工人を定め、陶工与八新五郎に九斗六升の扶持を給す。寛永17年に一石一斗に加増。
1652 与八、新五郎御細工人を免ぜられる。翌年に清三郎が御細工人となる。
1662 清三郎御細工人を免ぜられる。岡山伊部座からの抗議で振売り禁止。
1663 五右衛門御細工人に命ぜられる。一石一升、延宝2年に免。
1665 光政候より幕府へ水指、茶碗、花入を献上。
1675 宮中へ壷、袖香炉…献上長右衛門御細工人となる。
1677 一窯当たりの運上金が銀一枚から五枚に値上される。新庄村の土の使用許可。
1679 伊部村より磯上の土を1/3か2/3採取を願い出、許可を得る。
1680 大窯中期、長さ二十五間の窯を十七間に縮小、年十四回焼きたいと願い出て試し焼を許さる。
1682 池田光政候没
1683 窯焚きの割木を磐梨郡(赤磐郡)大王山より買うように定められた。
1690 牛窓村の備前焼商十五軒より従前通り商売を許可されたいと願い出る。同三軒より、新令通り三軒に許可されたいと願い出る。
1700 閑谷学校の瓦焼き始める。
1703 紀州に備前焼の行商を願い出る。
1704 京都、尼崎に行商を願い出る。
1707 江戸、大阪への他所売り禁止。和気絹(宝永6年発刊)に備前焼の窯四つ、長さ各二十間とある。
1710 白釉研究のため長十郎肥前へ。
1711 陶工三十四名連記で一窯築造を願い出る。白備前を二窯焼く。
1712 白備前の値段を定め他所売り禁止の申し渡しがある。
1713 備前焼二、三割値上げ。三年後に約三割値上げ。
1720 北大窯の陶工九人、不景気のため窯を2/3に縮小したいと願い出る。
1721 伊部土管を一年に限り値上げ。
1729 木村長十郎御細工人となり、下細工人利右衛門添役となる。窯口明見届奉行を廃し、長十郎利右衛門横目付役となる。
1731 岡山伊部座からの願い出により、伊部座以外の備前焼商禁止。
1745 窯口明見届奉行復活。
1748 窯口明見奉行廃止、三年後復活。
1758 木村長右衛門長清御細工人となる。
1760 藩主池田宗政、片上本陣で細工ろくろを三日間ご覧なる。
1769 後楽園に御庭窯を築き十月初窯を焼く。継政候作の花入。
1789 大窯時代末期、長十郎岡山花畑で制作、お庭窯へ詰める。
1791 鍋島藩主長十郎方へ立寄る。この前後、西国大名、家老らが参勤交代などの途中しばしば長十郎方へ立寄る。
1796 藩主長十郎方へ、木村新七貞固御細工人見習い、木村長十郎敬雄御細工人となる。
1815 浦伊部村より、焼物問屋許可願い。窯元一同からは許可しないようと願い出る。この頃の御細工人は新七、長十郎、久次兵衛の三人。
1819 平賀元義「備前国伊部考」を著す。
1831 天保窯開く。
1842 虫明窯で備前焼のにせ物を焼いている…と、窯元四十三人が取締りを願い出る。
1845 御細工人長十郎友直七俵半と三人扶持に加増。
1851 備前焼専売権復活嘆願。
chronology/edo.txt · 最終更新: 2018/10/30 16:40 by 46.4.62.145

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